bow's Design(ボウズデザイン)

花火のイラスト

日記「奇跡」

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最近のライターは不良品が多いのではないか??
数回使えたかと思ったら、燃料はまだ十分に残っているのに、元気よく音はなるものの、火がつかない。
新品を買ったのにも関わらず、最初から点かない場合もある。
取り合えてもらいたいが、決まったところで買うものでないし、この百数十円のために取り合えてもうらうコストを支払うのは無駄な気がする、というのは、これはもう戦略なのかな、とさえ感じてしまう。
ただ運が悪いのか、はたして運が良いのか。

急に冬らしい寒さになってきた。
寒いのが早いなと思って衣替えをしていたら、暑くなるしで、この時期の装いは難しい。
足が冷えて寒いから、これで大丈夫だろう。

どの季節も好きではあるが、冬は好きな季節。
冬は日がある時間も良いが、夜が特に良い。
寒くなるからか、空気が澄みコントラストが強くなり、輪郭が鮮明になる。
ほぼ淀みのない濃紺の海の上を、待っていたぞ、と言わんばかりに生き生きと星が輝いている。
人が集まるところが大がつくほど嫌いで、さっさと通り過ぎてしまいたいくらいだが、冬の街中はイルミネーションや灯りがとても美しいから、それでも速いと思うが、気持ちペースを落として歩いている。
イルミネーションのアーチ状になったところをくぐるとき、目に差し込んでくる光が神々しい。
光と光の間に浮かぶ人々が見えるのも、それも美しい。

宙に浮く光の玉の間に、様々な人が浮かび上がり過ぎ去っていく空間は、現実世界とは異なった世界に足を踏み入れ、その美しさに魅了され、誘われるままに歩き進んでいるようだ。
光を行き交う人々の表情は、穏やかで優しく、落ち着きがあって、現実を楽しみ、幸せそうだ。
また年が終わっていき、厳かな雰囲気を生きているようである。
そんな風景や光景を見ていると、こちらも幸せに感じる。
こんな現実は僕が知っている現実ではないが、確かに現実の中を歩いている。

現実というのは、残酷で厳しいものだ。
そうであってほしいなどという一人の強い願いなど、聞き入れてくれるほど甘い世界ではない。
これ以上はもうなにもないだろう、なんて思ってはいても、追い討ちをかけられることなんてざらにある。
頑張っても、努力しても、泣いても、叫んでも、全てがそうではないが、ほとんどの場合は、思い通りにならない。
それがリアリズムというものだ。
ただ、それらを理解したうえで、現実空間を生きなければならない。
頑張ることも、努力することも、泣くことも、叫ぶことも、悔しくなることも、苦しくなることも、大変貴重な体験で、人生の過程として、とても大切で尊い物事だ。
わたしをいきる、ために重要なものとなる。
生きていていくうえでの自然現象となっていく。

光のアーチをくぐり抜けて、どれだけの距離を歩いたのか。
明るかった道も、寂しげで人影も少なく、道案内役をしているわずかな街灯を頼りにとぼとぼとひたすらに歩いている。
闇の中でもわずかな光が見えるから歩ける。
幸福感、というのはそういった素朴なものなのかもしれない。
誰かが作り上げた幸せを掴むことも、たしかに幸せなことかもしれないが、忙しく動いていた時間を終えた一息の時間に飲んだコーヒーが妙に沁みたりとか、ばったり出会った人に言われたことが妙に沁みたりとか、ごはんが妙に美味しく感じたりとか、空が綺麗だと感じたりとか。
時代や物事は「しあわせ」を掴ませることをせっせと急かしてくるが、目に映る遠く先よりも近いところに、そういったものは気付かれていないだけで、落ちているものなのかもしれない。

地面になにかが落ちてころんころんと音がした。
その方へ目を向けるとどんぐりの木だった。
木の根元を見ていると、たくさんのどんぐりが落ちていた。
美しい話や、奇跡の話がある。
メディアなどで取り上げられ、私たちはそれを見て感動する。
それらは取り上げられ、美しい話、奇跡の話として語り継がれる。
おそらくは、特別な話ではないのかもしれない。
ただ、気付かれずに、時の空間に刻まれるだけで。
立ち止まり、後ろを振り返ってみたら、そんな残像たちが見えるような気がした。

いくら目ん玉ひんむいても、見えねーもんは見えねーんだけどなあ。

今日の作業用BGM

くるり / 奇跡

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