bow's Design(ボウズデザイン)

ま イラスト

日記「間」

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こんなにこの木の枝は飛び出ていたっけ…??
体をのけぞらせ、紙一重で交わすことができたが、二連でそうなっているとは予測しておらず、木の枝の先端と周りについている数枚の葉が頬を叩く。
ここで休符を入れるとは粋だな、まんまと引っかかってしまいその後の小節へ影響を及ぼす。
このようなディレイに少々弱く、嫌なものだが、とても楽しく感じる。
自分は器用でない方だから、繰り返し練習しなければ克服できない。
見切った…!などと言いたいものだが、そう上手くはいかず、がしかし、反応が出来た時の快感と言ったらたまらないものがある。
慣れ、というのはすごいもので、次第にディレイがあることは当たり前になって、次の難題を求める。

慣れた道というのは、いくつもの見えない線が引かれている。
こういう時はこのルート、こんな時はこのルート。
何もない平凡な時はこのルートを当然の如く選択する。
なんとも自分のペースで穏やかに平和な時間である。
時に難解な状況とはやってくるもので頭を悩ませる。
障害物も当然あるし、ルールもあり、出来る事、出来ない事もある。
刻々とそれらは迫りくるし、いわゆる詰み、というやつか…。

と難問への思考は歩行のスピードを減速させ間を作った。
はっとなって、その間から導き出せたルートを見つけることができブレイクスルー。
それは快感の瞬間である。
しかし、壊れたロボットのように急に道の真ん中で立ち止まるとは一体どういう神経をしているのだろうか。
公共の場というのは互いに注意を払わないといけない場所だと思うのだが、彼らはそれどころではないらしい。
歩きながらやるものでもないようなゲームやショッピングや誰かのゴシップとか色恋にいそしんでいるようだから、そんな余裕はないよなあ。
気持ちが悪くて仕方がないものだが、こりゃあとっても現代風な言葉でいうと「やばい」病気だ。
仕舞ったと思ったらまた取り出して見ている滑稽千万。
所詮はツール、活用するものであって、四六時中持ってないと不安になるとは…取り込まれてどうするのか…
巷で言うカルトみたいなもんだわな。
とても「やばい」カルト信者のようなやつが顔を青光りさせて、生気がない奴もいれば、にやにやと不気味な笑みを浮かべた奴がそこら中に徘徊していやがる。
よだれが垂れそうになっているぞ…??公共の場で自慰の際中かな…??おいおい勘弁してくれよ、ここは公共の場だぜ、羞恥心の欠片もないね、と言わん顔をしてこちらを見るが、それをしながらだとどちらが??となるが…会話は成立しなようだ。
としかし、まあ、誰かの金になるから誰も騒がない。
カルトからの脱洗脳とはなかなか大変であるようだよ。
確かに、誰しもがなにかしらの思想に囚われ、それらによって考えたり生きたりするものだものな、そして批判や糾弾をし争うものだ。
いつの世もどの時代も…くだらない。
かくいう自分もいくもつものの何に繋がれているのか…

さて、阿呆の話はこれくらいにしておいて、持ち手の中で最も良い手、というのは大変円滑にストレスなく進むことができるものだ。
ただそれが良いかと問われると、好ましいがそうとも思わないというのが自分のややこしい性質であって、物事によるし。
何にでも当てはまるわけではないし、一括りに考えることができないものだ。
スムースにスピーディーに、理想はそうであるし好ましいと思うが、そうできない時とはいくつもあるわけで、時間をかける、という選択をとることも当然ある。
まあ、これはこうだ、というのは大変な複雑なものだと思うわけで、その時その時に変化するものだ。
そのものとそのものの間とは見えてくるもので、そのものとそのものは無機質なものではなく、性質を持つし、変化をする。
斥力が働いて互いを離しているかといえば、引力が働いて互いをくっつけることもある。
ああ、地球は回っているのだな。

教室 3D

今日の作業用BGM

androp / Puppet

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