一人のチンパンジーと一人の人。
言葉は通じていないものの、どうやら通じるものがあるらしい。
それは動物と人としての関係ではなく、何か固い絆のようなものと、そして心で繋がっているように窺える。
それでも行かねばならないのだ。
動物として行かねばならず、人として行かねばならない。
ジブリ作品を見ているような光景であった。
いつもは廻らない商品棚に入っていろいろ見ていたらビー玉を見つけた。
ビー玉置いてるやん、とちょっと楽しくなって手に取ったら、手に取った網の中のビー玉が重なり合ってびー、と音を出す。
ビー玉のビーはポルトガル語のガラスを言うビードロの略であるそうだが、ビー玉とビー玉がぶつかり合う音はびー、と聞こえるよ。
買い物かごをレジに持って行ったときにびー、と鳴る音が聞こえて覗いてみると、なぜだかしっかりとビー玉の詰まった網が入っているではないか。
忘れる??忘れるわけはない、それはその時を生きた証ではないか、我思う、故に我在り。
勇気は臆病。
悲しみは喜び。
苦しみは楽しみ。
痛みは快い….
ふと頭の中で、二つの関係する言葉を並べて遊んでいた。
臆病は駄目なのか??
汚れちまった悲しみは…
痛みとはあんまり痛いと痛いことを諦められる…
竹を割ったというが、割れた欠片を合わせてみたところ、どうやら元はひとつのようだ。
それはそうなのだが、そういうことなのだ。
個々の意味、また反対の意味を持つそれらは表裏一体。
ビー玉の中に何やら映り込んでいるようだ。
ああ、なるほど、懐かしい。
君は最近のようだ。
おっと、君はどこへ行くのか。
そうかい、行くのかい、知っていたよ、それでも行かねばならない、というやつだよな、そして、忘れるわけがないだろう。
今日の作業用BGM
Chara / タイムマシーン