設置されてある時計を流し見したところ始発までしばらくある。
歩きながらどうするか考えたが待つのは面倒に思い、ロータリーに向かいタクシーを探した。
タクシー運転手さんの出勤は早いらしく、既に埋まるほど留まっており列を作っていた。
先頭に乗り込む若い連中がいたが、距離があって何をやっていたのか分からなかったが、降りてきてわちゃわちゃとへらへらとどこかへ去っていった。
よくも分からないが、こんのくそがきどもが…とか胸に抱きつつ、先頭のタクシーに良いですか??と声をかけたら、快くどうぞ、と車内へ促された。
声をかけたときの運転手さんの表情を見るに何かあったであろう、残り香を残しつつも、即座に仕事の顔に戻ったのが伺えた。
さすがに大人である。
車内の温度にも気遣ってくださり、運転も安定していて、棒のように固まっていた足をやっと快適に休ますことができた。
また気さくで物腰の柔らかな方で、労いの言葉もいただき疲れ少々癒えるようであった。
お話好きそうで、いろいろとお話してくれるから、先ほどの事以外はこっちからも質問したりも交えながら会話を楽しんだ。
聞いたわけでもなく、誘導したわけでもなく、運転手さんから先ほどの出来事の話になった。
まあ、はあ??となるような自分がされたわけではないが腹の立つ話で、聞いていて気分が良い内容ではなかった。
とんでもない乗客はたまに遭遇するようで、いろんなケースを聞かせてもらった。
思わず吹き出してしまうことも数ケースあったが…
だんだんと世の中や社会や経済や政治について、エッジの効いた批判になってきて、物腰の柔らかっさも変わらず、表情は相変わらずで鋭い批判を淡々と述べる運転手さんに少々恐怖を感じたが(笑)、その話の内容は大変共感をするものであった。
それは留まる事を知らず、目的地に到着したところ、メータを切っても口は止まらない。
感覚をあらわす適切な言葉が見つからないが、仮の表現として「こういう話は嫌いではない」とするが、最後まで聞いておこうと思った。
停車し五分ほど経っただろうか、すいません話を聞いてもらう形になって、と丁寧に礼をされ、下車した。
少し明るくなった空が見えたところ、どこかから「ええじゃないか、ええじゃあないか。」と、とんてんかんと音を鳴らし、それをリズムに陽気に舞い騒ぐ人々の姿が見えてきて、その群衆は和を大きくし、こちらに迫ってくるのを感じた。
いやいや勘弁してくれ、とその場を後にするのだった。
今日の作業用BGM
東京事変 – 群青日和