bow's Design(ボウズデザイン)

イラスト

日記「抽象画」

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巷では数々の一揆が勃発しているのに、現実に何も変わった様子がない。
一部の領域では騒がしいものの、一歩出ていくと静かで打ちこわしに発展する様子は一向にない。
あっちの方で大きな祭をやっているらしいではないか、お主達も行って楽しんではどうだろうか。
あっちの方では珍しいものを展示している見世物小屋をやっているそうではないか、そうそうお目にかかれないものらしいから、またとない機会、お主達も行って見てくるとよろしかろう、と扇子を閉じ手にポンと、扇子をその方角へ差し、この集団はその方へ向き、何を言いに来たのかも忘れてぞろぞろとそちらの方へ向かっていく。
まったくちょろいものである。

広く見れば美しく見える。
細かく見れば不揃いで美しくないものが混ざっていて、でも遠く広く見てみれば美しく見える。
美しさというのはこういうことなのか。

本屋で一冊の絵本を見つけて手に取った。
帯つきの本はあまり好きな傾向にないのだが、帯に書かれていた言葉と表紙絵につられてしまった。
「こうやって友達ができるのかもしれない。」
「やねうらべやのおばけ」という絵本だが、可愛らしいタッチの絵で、展開とそのシーンの絵が可愛らしくて涙が出そうになってしまった。

簡潔に言うと自分は友達が要らない人間で、もう少し具体的に言うとそういった縛り合いに基づく関係性というのは面倒くさい、と思っている。
自分は自己中心的な人間性であるからそう思うのかもしれないが、仲が良い人というのは、どれだけ時間があいても昨日会ったかのようにその時を過ごし、たくさんの話をその時たくさん話し、惜しむように分かれ、またいつもの日がやってくる。
自分が必要であるときは若しくは必要とされる時、不思議と丁度その時に赴いてみようと気が向いてみたり、偶然にばったり不思議なところで出会ったりするものだ。

いつもの散歩道にはいろんな人が行き交うが、名前を知らなければ話もしたこともないし、邪魔にならなければなんとも思わないし、NPCみたいな輩には興味がない。
いつも重たい荷物を持ち、下を向き汗をかきながら蛇行する体をコントロールしながら歩いているおばちゃん。
でもとても上品な雰囲気。
最近は手を振り、挨拶するようになった。
話をしたことがなければ名前も知らない。
そんな人たちが散歩道にはいる。
僕は一見野蛮に見えるだろうし、一緒にされたくはないだろうが、同じ香りがするのだ。
そして、この人たちはそんなことを全く気にしていないし、視界に映る景色が似ているのでろう。

展示されている一枚の抽象画を眺めている。
一目見て何を描いているか全く見当がつかない。
模様というべきか、線というのか、これは何を意味をするのか。
この配色は何を意味するのか。
分からないけど、分かろうとしたい。
分からないから教えてほしい。
はっきりとは分からない。
でも、なんとなく、言わんとしていることは分かる気がするよ。

運命やこの向かう先の上にある点を踏む流れであれば、ここで突飛な動きを見せることが運命を変える事であり、奇跡を起こす、ということなのであろう。
時間軸があるのならば、それも必然か。

今日の作業用BGM

GREGORY ALAN ISAKOV – AMSTERDAM

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