僕は何時ぞやから煩わしくなって、携帯電話があまり好きではなくなった。
正直なところ、もう必要ないとも思っているが、現実的に持っていないと具合が悪い時、があるので止む無く持ち続けている。(とはいえ、持っていくのを忘れ携帯していないことが多い。時に困るのが、知らない土地へ行った時や辺りに時計が見当たらない時である。)
物理的にではないが人と人との距離があまりにも近くなり過ぎる、通知を見たならば即レスしなければいけない、返さなくてはいけないという自ら課すある種、強迫観念のようなもの(返事を塾考したい時もある)とか、それを積極的に使っているとそれ中心の生活になっているような気がして辟易としてしまったのだ。
通話においても、声の質や語気等から感情はつかめるものの、どうも遠い気がして話がまともに入ってこない。
よって、対面でのお話を好む。
とはいえ、大切な人であれば(この場合恋人を指す)そうは思わないのか…??
思わないのかもしれないが、端末でのコミュニケーションをするより、同じ時を過ごしたいと思う。
若い頃、携帯電話は嫌いだったかというと、そういうわけではなく、上述の内容は求めていただものであったし、そうなったわけで、それらの恩恵を長い間享受してきた。
現在の携帯電話のデザインや機能はどのようになっているのか知らないが、携帯電話の黎明期、成長期の頃、16とか17とか18才くらいだったと思うが、様々なデザインや機能を持った携帯電話が流通していた。
それはそれはわくわくしたもので、着信音が単音だったのが、4和音、16和音になっただの、着信音を作曲できるとか、グリーンライトの中に黒文字だったのが、カラーに変わっただとか、壁紙が設定できるようになったとか、着信音に曲を設定できるだとか、このオプションを買えば写真を撮ることができ、それを壁紙に設定できるだ、アンテナ(ラジオやカセットデッキについていたアンテナをつけていた強者も存在した笑)やストラップなどのアクセサリー商品も登場し、成長の勢いは凄まじく、ひとつひとつが画期的で革新的だった技術が集約され、インターネット接続が当たり前となり、様々なソフトウェアをインストールすることで個性的に機能を強化できるスマートフォンとして進化し、一人一台持つのが当たり前になり、人々の生活に欠かせない道具となった。
通信機能を無くした端末は何やら魂が抜けたように動かなくなるわけだが、なにかが詰まっているように見える。
あれは、思い出、なのである。
そんな中を生きていたわけだが、僕はといえば、その頃特に夢があったわけではなく、将来に絶望し、ふらふらとし仲間と過ごしていた。
所謂今ではガラパゴス携帯と呼ばれている端末を見たりすると、その時の自分の光景が鮮明に蘇ってき、その光景に当時の重々しい空気をした自分の姿が写り、笑ってしまいそうになる。(ああ、現在も重く見えるって??そんなことはないつもりでいる。自分では軽すぎて大丈夫かとさえ思うのだから。面影や名残といったものでは??)
その端末の中には恥ずかしくて顔を覆い隠したくなるようなものも入っているのだろうな。
黒歴史の宝庫であるのだろう。(そう、この定期的につけている日記も黒歴史の宝庫なのである。)
肩をばちんと叩き、よう兄ちゃん、そう暗くなんなよ、人生なんとかなるもんよ、と過去の自分に言いたくなるものだ。
自分だから分かるが、あの当時ならば噛み付いていただろうが、はっはっはっ、その意気、その意気、その意気がまだあれば、生きていくことくらいできらあよ、と、ただ絶望にかまけて何もしなければお前はそこまでだ、その意気でお前を生きるがよい、と。
そんな彼は街で見つけた良い感じのフライヤーを見て、もともと絵を描くことが好きだった彼は自分でも作れるのではないか、と思ったそうな。
これを作るにはどうすれば…そこから勉強をして現在に至るようですよ。
自分がこんな道に進んでいるなんて、当時の僕には想像すらできなかったことです。
幼少期から妄想というか、想像というか、空想の世界よりはもう少し現実的な、例えば、生きるとは、人とは、とか、そんなことをよくも知らずにする癖があって、ノートやスケッチブックに忘れないようにそんなことをメモしているのがあって、勉強中だった自分にはソフトで具現化する力が足りなくて、断念したものが多々あって、今になって、その時のものを空いた時間に起こしている。
当然時を経て考え方が変わっているものもあるので、そう思わないものを形にするのは少々気が乗らないが、いつまでも起こさないままでいるのも気持ちが悪くて、形にするように努めている。
その中で長編ストーリーになるものがひとつあって、キャラクターに持たせる端末を考えていた時に描いていたメモを起こしてみた。
CUBE PHONEというやつだが、これは明らかに以前作らせていたアニメーションの商品に影響を受けているデザイン。
研究用ロボットであったが、趣向を変えることでもっと一般的にも使ってもらえるものになるのでは、と思ってはいたが、アイデアはなかった。
デザイン「株式会社システムワット ROBOCUBEアニメーション」
作中に登場するキャラクターに持たせる端末ということで、考えていたデザインだが、どうも世界観と合わず没にした。
手に巻きつけるバングルのようなものでアクセサリーにもなって、通信手段ともなり得るというようなものを考えていたが、コミュニケーションをするとなったときにヘッドホンのようなものが必要になると考えた時スマートではない、として没にした。
自分は基本的に派手なデザインは好まないのだが、ストーリー上をかけるキャラクターには目立つようなものを装飾としてつけておかないといけないのだろう、とは考えているが気がね…(浪漫というものがあるではないか)。
まあ作中に身につけるアイテムとして没としたCUBE PHONEを起こしてみましたよ、というお話だ。
折りたたむことによってキューブ上に変形。
インテリアにもなりますよ、というのが売り。
失敗したが天に駆動パーツが飛び出してしまうこと。
前面の待ち受け画面には時刻や天気、コンディション、通知、音楽モードがあって、曲に合わせてディスプレイの中でアニメーションが表示される。
現代ではSiriやGoogleアシスタントのような人工知能がコミュニケーションを取ってくれる。
2010年ではHAL9000か。
フロントについているカメラからCUBEは見ているのだ。。。!
肝になる機能は「合体」させることができる。
合体させることによって、フロントのディスプレイに変化を与えることができるといったものだ。
ソフトウェアのことは細かく考えておらず、大まかにこんな端末である。
イラスト「世界崩壊の日」
そんなことを書いていたら、やってみたいことを思いついた。
別に大したことのない思いつきであるが、やらないと気持ちが悪い。
描くのもわりと大変で、それでいて面倒くさくて…
まあ、また次回ということで。
では、またね。
今日の作業用BGM
Maroon 5 / Memories