最近パソコンを触るのが億劫で、触る時間が減ってきている。
データ化するときに割と限定されてきているような。
じーっと椅子に座り、カタカタ、カチカチとやっているのが苦痛だ。
体を動かしたい。
どうせ手を動かすなら、道具を使って作業したい。
押したり、引いたり、切ったり。
力を加減したり。
その感覚を確かに感じたい。
それが楽しいし、次から次へとやりたいことが浮かんでくる。
これは全く金にならないから経済的には全く意味がないから会社の売り上げには結びつかない。
でも、それが楽しい。
意味など問われても、意味はない。
ただやりたいからやっているだけ。
いつものカフェから見える景色
緑に囲まれたところ
緑に囲まれたところ。
近代的な無機質な建物が連なる。
ほとんどは、どよーんとしていて、人が行き交い活気があるように見えるが、僕には寂しげに見えるし、思える。
その一角だけ、たくさんの緑や花が植えられていて、建物が活き活きとしているように思える。
そう見えるのは錯覚なのか。
なにかと次々に起き上がってくるものには生気を感じない。
育てられない。
必要がなくなれば、お役御免と無慈悲に潰される。
それが分かっているのか、コンクリートの建物のほとんどが何か寂しげである。
でも愛され、育てられているところは、外はもちろん、中も温かみがあって、その中にいる人たちも温かく、明るい。
ガラス張りの外を見ると、めまぐるしいほどに人や車が行き交う。
最近は下を向いた人ばかりだ。
信号が赤にも関わらず、車に飛び込もうとする。
車にぶつかりそうになって、ドライバーは血の気が引いたような表情を浮かべている。
でも、当の本人といったら、表情ひとつ変えないで、下を向きながらゆっくりと歩道へ戻っていく。
信号が青に変わっても、まだ下を向いたまま。
また赤に変わった。
プログラミングされた世界を眺めているようだ。
横一列に連なって歩いていく人々。
それが向かい合ったならば、よければよいが、列を崩さまいと無理矢理にその列を維持したまま歩こうとする。
これはどこかの国の行進か。
誰かがあっちを向けば、皆あっちを向く。
誰かがあっちへ行けば、列をくずさずあっちへ行く。
笑ったりはしているが、作られた表情に思える。
そんな光景がつまらないが、中には人らしい光景が見えた時、ほっと安心する。
嬉しくなる。
そんな光景を微笑ましく眺めていたら、カタカタカチカチと忙しい機械音が室内を鳴り響く。
呼吸がなく、不規則なリズムで奏でられるこの音が煩い。
机いっぱいには、いろんな線やコードが繋がれていて、人にまで侵食している。
聞こえないようにしいていたが、関係なく鼓膜をつついてくる。
意識、に入ってくると、気にしてしまいうるさくなる。
鳴り止む気配もないし、ストレスになるから足早に店を出た。
外はぐっと冷え込んでいる。
イルミネーションの光が綺麗に輝く。
大きなマフラーに顔をうずめ、肩を丸めながら歩いて行く人たちがなんだか可愛い。
両の手に買い物袋を持って、早歩きで歩いて行く人。
仕事がひと段落ついたのか、外に出てきて屈伸したり、肩を揉んでいる人。
お店に出した商品棚を戻している人。
小さな小人と手を繋いで、小人のペースでどこかへ向かう人。
素敵な光景がイルミネーションの光に包み込まれ見えなくなっていった。