少し小走りで駅に向かっていた。
駅の建物が見え出すこの道。
もう幾度となくこの道を行き来しながら歩いているから、さほど気になることもなく、電車に乗り込む。
ふと地面に目をやると、コーヒーや飲料水、タバコの箱やらタバコの吸い殻が点々と落ちている。
ああー…とか、ちょっと嫌な気分になりながら、どうしてか、あの言葉が頭に浮かんだ。
あれ、あれや、と
頭の中から引っ張り出そうとしているが、なかなか出てこない。
あれ…
「毎日掃いても落ち葉がたまる。これが取りも直さず人生である」
作家 田山花袋さんの言葉。
一時期とある企業さんがCSR活動の一環として、地域の清掃活動を行っていた。
僕もそこに参加させていただき、一週間に一度、会社周辺の清掃活動をお手伝いさせてもらっていた。
ゴミ袋が何袋にもなるほどのゴミ量。
こんなものまで…??というものも落ちていたりする。
その活動中というのは、なんとも不快な気持ちを抱きながら活動するも、活動によって綺麗になっていく様子をみると、
とても清々しく、スッキリしたものだった。
しかし、一週間後には、また元通り。
場合によっては、よりひどい状況になっていたりすることもあった。
不快感とともに、大きな疑問を抱く。
小さなときから学んだことであって、やってきたこと。
罪悪感などにも苛まれない感覚が不思議だった。
どうしてなんだろうね。
最近は仕方がない、などと大人の言葉で諭されるわけだけど、これで良いんだろうか。
長年中二病を患っている僕には、どうにもこうにも大人の言っていることは、しばしば理解できないことが多々ある。
まあ、仕方がないことなのだろう。
こういったどうにもこうにもできない言葉で片付けらていく。
ただ、ここで見た現実というのは、片付けられるどころか、消えることもなく、落ちているのだ。
田山花袋さんの言葉の意味とは全く関係のないことだが、その光景を見て、ふとその言葉が出てきたのだ。
汚されても、美しく四季を彩る草、花、木、自然のように、年輪を重ね少しずつ変化をしていく自己を最後まで全うするまで。