一体、どれが本当の自分なのか悩むときがあるんだ。
良い心の自分。
悪い心の自分。
いつも良い心の自分でいるつもりだけれど、悪い心に飲み込まれそうになる時があるんだ。
飲み込まれてしまうと黒いもやもやが心を付き纏う。
楽しい時だって、眠たくなるまで。夢の中にまで。
あの時ああしていれば…
僕に闘う勇気があれば…!
僕にもっと力があれば!僕にもっと自信があれば!
そうか…そうだよね。
人の中には、良い心も、悪い心も存在することを知っておく事が大事なんだね。
10年ちょっと前にはプロットを作り終えていたようで、絵もほぼ書き終えていた。
古いハードディスクにアクセスして、データを探るも文字情報が見当たらず再考することになった。
所謂、一時の思考、というやつから生まれた物語で、過去の自分が何を言いたかったのか思い出せない。
ただ、この絵本を描くきっかけとなったシーンは思い出せる、というか、未だにこういうシーンにたまに出くわす。
このとき僕はどう動くべきだったのか。
なにも見なかったかのように通り過ぎていくのか。
僕の心が痛まないようにというのか、本来の自分のままに動くというのか、このシーンに出くわした時のゲーム的描写されそこに立たされる自分の大事そうな分岐点は、はっきりと言ってこの先々なんの意味を持つものとは思えないし、ここまで無かったと思う。
内に秘めているならまだしも、外に大きく漏れ出したならば一種のエゴイズムになり得、耐えられないならば自分を苦しめることになる。
若い頃は自分との闘いと表現したが(未知なる体験による葛藤は克服、納得に到るまでは闘い、と表するのかもしれない)、本来の自分のままに動く、どうせ後ろを振り返り心を痛め、少し先のところで立ち止まり終わったことを悔やんでいるのならば、本来の自分のままに動けばいい。
ごちゃごちゃと書いているが、要は自分との葛藤と、その時の分岐点のいずれかを選び動かないといけない時、本来選ぶ道を選ばず、反対の道を選ぶから苦しむのだ、という話なのではないか、と思う。
日記「次はこれだ。」
今日の作業用BGM
amazarashi / ナモナキヒト