bow's Design(ボウズデザイン)

湖畔のぼけた写真

日記「なあ、貴公」

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夜が深まるとともに、家路に着く足音の数が減り、夜が深まるとともに、家事の忙しい音が静かになり、生活の中でほっと一息つける平穏な時間がやってくる。
そんな時、世の母親というのは、小さな赤子の泣き声によって時間が奪われてしまうことも多々あろうが、この先、大きくなった赤子との思い出話、笑い話になるのだ。
もちろん、家族の為に忙しく働いている父親、ともに育児をしている父親も。
坊や、良い子だ、ねんねしな、(子守唄にしている家庭はほぼいないだろう。思いつき、である。)そんな子守唄に耳を傾け、温もりを感じながら優しく揺れ動く揺り籠の中眠っていく赤子の瞼の中のように、外もより夜の色に変え、街灯が煌びやかに光り、赤子の寝息のように静かになっていく。

僕にとって、やはりこの静まり返った夜の時間が一番好きで、一番集中でき、作業が捗る時間である。
まとめ、のような作業というか、日中に思考したこと、見たこと、これらの点と点が結ばれることによって、星座が形成されるようなイメージだ。
頭の中で形が形成されることによって、実際にキャンバスに描き起こしていける。
頭の中で形成されたイメージを描き起こすときスムーズにいくこともあれば、いかないこともあるわけだが…

腕を組み、画面を眺めながら、違和感のあるところを探っているところ、何やら外が騒がしい。
今日の作業用BGMの休符に合わせて、曲調に合わない音が入ってくる。
どいういう曲??とはてなが頭にぼかんと浮かんだところ、若者の叫び声と大声での笑い声が聞こえてくる。
ヘビーロックかよ、いやそれにしては線が細すぎる声質だわ、とか思っていたら、ついにはイライラし、「常識ねーのかよ」と独り言を呟いた。

今生の別れでもあるまいし、どうせ明日には会うのだろう。
思考と音楽と騒ぐ音が合わさり重低音なサウンドが僕の真ん中あたりからフェードインしているが分かった。

なあ、貴公よ。
失ったものは、もう二度と戻らないこと。
壊れかけたものは、気付くことができれば直せること。
手の温もりを。
あの時の温もりを。
あいつの嫌な言葉が実は俺のためだったと気付くこと。
無表情な彼が、笑顔を見せたこと。
自分にとってなんでもないことが感謝されたこと。
分からなかったことが、今日理解できたこと。
救急車が通り過ぎ、助かって欲しいと願い祈ったこと。
木漏れ日が綺麗だと思えた一瞬。
風を感じたこと。
何もなかったと思っていた一日が、実はいろいろあるのだと思えたこと。

ぼけた貴社の写真

なあ、貴公。
一日の終わりというのは、一日を振り返り、ぼやけた映像を辿りながら、愛おしみ、感謝をし、懺悔をし、新たな明日を生きるためにある時間なのではないか。
見える景色の色が大きく変わるのかもしれない。
一人と対話することによって、最も素直な自分でいられる時間ではないか。
伝えたいことを伝えることができる、言いたいことが言える、嫌なことを嫌だいえる、私と見つめ会うことができる唯一の時間ではないか。
しっぽりと酒を飲みながらでもよかろう、なんとなくつけているぼやけた映像を眺めながらでもよかろう、自分が楽しかったことや、悲しかったことや、納得いかなかったことが見えてくるだろう。

フウセンカズラのぼけた写真

世界が平和であることを願うだろう。
みんなが笑っているぼやけたイメージが浮かぶだろう。

でも、これは単なる個人的な理想論であることを気付くだろう。
物事はもっと複雑な事柄で絡み合っていることに気付くだろう。
夜更け、というのは、こんな綺麗事を吐露したくなるような自分の一面を教えてくれるだろう。
でも、大事なことではないか。
陽が照り、人々や機械が忙しく動き回っている中、昨日の夜更けに思っていたことが、少しでも表現できることが出来たならば、自分にしか分からなくても、それは良いことではないか。
意味が無くてもよいではないか。
そんなちっぽけなもの、時代の大波が押し寄せ、無いものにしても良いではないか、魂は残っていて感じることができるはずだ。

麦わら帽子のぼけた写真

貴公よ。
静まりたまえ。
明日のために。
貴公よ。
ゆっくりと眠りたまえ。
新しい明日のために。
優しくて温かな揺り籠を感じながら。

などと、脱線した思考を終えた時、外はいつもの夜のように静けさを取り戻していた。
「もう帰ったんかい!」と、誰だか分からない帰った若者の方へツッコミを入れ、作業に戻ったのだった。

今日の作業用BGM

音楽のある風景 haruka nakamura PIANO ENSEMBLE

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