bow's Design(ボウズデザイン)

ハットのイラストレーション

日記「ハット帽のおじいさん」

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「起きろ、起きろ」と、しつこく目覚まし時計のアラームが僕の耳元で大越で叫んでくる。
鬱陶しいから、「黙りやがれ」と雑にストップのボタンを押す。
はあ、静かになった、と温かい布団の中に潜り込んで鼻の中心あたりがくーっとなって、目の当たりからお花畑の景色が広がったな、と思ったら、また「起きろ、起きろ」と目覚まし時計が騒ぎ出す。
「つっ!」と、潜り込んだ布団から勢いよく体を出して、ストップボタンを押そうとするが、上手くボタンを押せず苦戦する。
「つっ!」「つっ。。。!」「なんやねん。。。!」と、ようやくアラームを消すことができたら、体の上半身は起きる準備ができていて、仕方ねえな、と頭をかいて、とりあえず寝床に座り込む。
時計を見てみると、眠りに入った時間を思い出すと、睡眠はこれからでしょうよ、という時間。
でも、仕方がないのだ。
行かなくてはいけないのだ。
お前の何度も同じトーンとリズムで叫ぶ目覚ましは、大嫌いで、毎日辟易としているが、お前がいなければ、僕はえらいことになっている。
感謝するよ、ありがとう。

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と、寝ぼけ眼をこすりながら、出発の準備と洗面所に向かう。
蛇口をひねって、じゃーっと冷たい水が排水溝に向かって勢いよく飛び込んでいくのがなんとなく見えて、状態をあげたら鏡に自分の顔が写り込んで、わっと、なる。
「やあ、おはようさん、今日もまた、あんた生き延びましたなあ。」と鏡の中にいる自分がニヤニヤしながら挨拶をしてくる。
鏡の中の僕のキャラ設定はなんなんだ、なんという口調で語りかけてくるのだ。
そうだよ、そうだよ、今日も僕はちゃあんと目を覚ましてここにやってきました、おはようさん、と挨拶を返す。
鏡の中に写しだされた落ち武者のような風貌をした彼は、間違いなく僕で、落ち武者のように見えるのは、きっと寝ぼけ眼のせいで、目が覚めたならばきっと小マシに見えるはずだろうと、少し温かくなった水をすくい上げ顔を洗った。
再度鏡を見てみると、そこには落ち武者が写し出されて、なにかの間違いだ、と冷水に切り替えて、滝行のように冷水で顔を洗って、再度鏡を見てみると、やっぱり落ち武者が写し出されて、それは間違いではなかったことに気付き、気づく、というよりも以前から知っていて納得をして完全に目を覚ます。

人と会うと、髪の毛長くなったね、と言われて、僕の中では長くなって長い付き合いだから、そうかな、とも思っている。
以前はその上に白髪にしていた。
現在はその部分も伸びきってしまって、色のあるところはほぼ無い、ということはかなり伸びたのだろう。
伸ばしている、というよりは、次は何をしようかという模索をしていたが、だんだん面倒くさくなってほったらかしている状態で、短く切るのも面白くないから、まだ模索中なのである。
しかし白髪が増えてきたな、と思う。
色を入れていたときはあまり気付かなかったが、今は真っさらな状態の地毛の中にちらほらと白髪が混じっている。
アッシュカラーなどとハイカラなものではなく、単純に白髪、なのである。
それもそうである。
もう、僕もそこそこ年をとったのだ。
若い間は、想像もできなかった年を生きているのだ。
白髪の人を見て、不思議に思っていた子どもの頃を、そういった子どもがいたならば、そう思われる年になったのだ。
僕は白髪の人を見てそう思ったが、僕の周りにいる子どもは、落ち武者がいることに不思議に思うのだろうが、、、。

さてさて、そうやって重い腰をあげて出発をする。
寒くなった外で息を吐いたら白くなる。
雲ひとつない青空に色とりどりの暖色が絶妙にマッチしているが、これを描こうとするとなかなか難しい。
悔しいが、自然というのはなんでも受け入れ、素敵な作品を作り上げてしまう。
人工的に作られたものでさえ、違和感なく取り込んでしまう。
何色であっても。

ハットのおじいさん

ハットのおじいさん

そんなところ、杖をついた中折れのハット帽をかぶったおじいさんが、ゆっくりとだがしっかりとした足取りで散歩している。
クタクタのジャケットで何色か分からない渋めの色で、スラックスもクタクタで何色なのか表現しにくい色。
それも上下チグハグの合わせなのだが、とっても似合っていて、自然で雰囲気があって格好いい。
お洒落、という言葉は非常に抽象的であり、僕にとっては嫌いな言葉であるとともに、僕が使う場合は「いじり」の場合が多いが、世間一般的に浸透している意味合いを借りて使うのならば、あのおじいさんはとてもお洒落で格好いい。素敵なのだ。

きっと僕のような若輩者があのような色使いを取り入れたとて、おかしな仕上がりになるに違いない。
ハット帽。
あれは非常に難しくて、僕がかぶったならば、仮装になってしまう。(正直、現在の風貌も仮装みたいになるのかもしれないが。)
ハットを違和感なくかぶれている人は、こういったおじいさんと、知っている人に一人だけだ。
街行く人の大抵は、仮装、に見えパーティーにでも赴くのかな、という風な感想を抱くことが多い。
あんなように自然にハット帽をかぶられるように、歳をへていきたいものだ、と考えると楽しみが増えて、歳をとることも悪くないなあ、と感じた。

ハットのおじいさん

そんなとき杖をついたおじいさんは、大きな木の下に立ち止まり、木を見上げていた。
その瞬間にその景色とおじいさんが絶妙に溶け込んだ瞬間だった。



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