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はじめての哲学・宗教 ~センター倫理でびっくりするくらいよくわかる~ / 相澤 理

はじめての哲学・宗教 ~センター倫理でびっくりするくらいよくわかる~ / 相澤 理

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パラパラとめくったら、僕の大好きな内容。
ということで、購入しました。

歴史にとらわれ、現在を足止めすることは良くないと思いますが、現代の礎を築いてきた偉人の行い、に目を向け、知ることは本当に大切だと思う。
現代にないもの。
というよりは、失われつつあるもの。
そういった大切さが書かれてあるように思う。

そして、失われつつあるものは、現代に始まったものではなく、その当時からはじまったものだったのだな、と。
そういった懸念、啓蒙をその当時から発している。

宗教と言えば、一般社会ではタブーのような扱いになる。
決まってどこかの宗派の批判や陰謀、悪事など、そんな話になる。
現代はそういう話になるのも良く分かるが、本来そういうものではないはずだと思う。

時代時代の所為により人々は時代時代特有の苦悩を抱き苦しみ救いを乞う。
苦しみからの解放。
運命や宿命といったしがらみから解き放たれたい、とか。
すがったんでしょうね、わかんないけど。

対象を構え、それに祈ることによって、救われるとか。
多分ね、そもそもそういうのが違うくて、教え、なんだろうね。
哲学なんだと思います。
私とは…。

生きているってことは、それだけで苦悩や困難の連続ですから。
苦悩や困難は、結局自分自身が消化しないと、いつまでも居続けることになります。
それは、時間が解決することもありますが。
僕は中卒の学が無い人間ですから、上手いことまとめることができませんが、哲学と宗教は密接なつながりがあって、宗教は最近ではスピリチュアルなものとして捉えられ、いかがわしく、怪しいものを捉えられ、忌み嫌われる時代ですが、本来は哲学ですから、そういったものではない。
そういったものになりさがったのは、時代の中の流れで、金儲けやビジネス、詐欺などに利用したものたちが、そういったものしたのではないかな〜、と。

私が生きている、生きていく意味、私とは…
そんな日々の苦悩と対峙し、問題を定義し、解決するヒントを得ることができる学問であるのかな、と。
インターネットなどで出てくる情報も確かに解決できることがありますが、それは表面上とノウハウなので、根源的にある問題とはまた別次元にいるもので、それは、根源からコントロールするものだと思うのです。

まずは、「私とは」、というとこに向き合うことが大事なのかな、と思う。
人と同じでなければならない、とか。
人と同じ意見でなければならない、とか。
人がこうだから、こうでないといけない、とか。
滑稽ですよね。

背の高さや顔、いろいろ人と違ったことばかり。
同じものはない。
生きてきた環境も違い、考え方も違う。
個性がある。
私というアイデンティティがある。

そういったことが分かってくると、わりと生きやすくなるような気がします。
最後は結局「自分」
決断をし、アクションをするのは自分。
人がやってくれるわけではないですよね。
子どもだとか、大事な人が悩んでいるとき、代わりをしてあげたいな、と考えるのですが、それは難しい。
寄り添い、決断、答え、行動が自身でできるように、心から寄り添うことができるのみです。

現在は「携帯電話」がすがる対象物でしょうか。
四角い画面の中で、検索をすれば、情報が流れてくる。
ツールを使えば、コミュニケーションすることができる。
一時的な寂しさや苦悩を忘れることができる。
嫌なことも忘れられる。
ただ、根本的な解決にならず。

ツールであった携帯電話はもはや、人をコントロールしている。
機械が人を操る土壌はできている。
まあ、僕の憶測とSFチックな話しですが、映画やドラマ、漫画などで表現されているものってのも人間の想像できることですから、実際に起こりえるようなこともあると思うのですね。
そうなると、怖いことですね。

「哲学」「倫理」「道徳」など、義務教育の必須項目として欲しいな〜、と思っています。

はじめての哲学・宗教

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