いつになるやら…と言っておきながら、割と早かったりする。
そういう気まぐれなところがある坊さんなのであります。
こういう時の動きのロジックはどうなっているのか…自分とは自分にも解き明かせていない多くの謎が隠されているものなのだな、と思うわけです。
気まぐれ、なんでしょうねえ…
イラスト「坊の一時の思考」
予定では、気が向いた時にでも、と思っていましたから、まだ先になるだろうと思っていましたが、思いの外短い間隔で気が向いたようです。
何がきっかけとなるのでしょう…??
一歩一歩、少しずつ、こつこつと
サイコロの「6」はなかなか空を向いてくれることはない。(確率論では平等なのだが…)状況が悪い時には特にだ。
ラッキー6が出た、と喜び駒を進めたところ、止まったところは良く無いマスだったりとか。
早いことに越したことはないのかもしれないけど、一歩一歩、少しずつでも、こつこつと着実に進んでいければ良いのかなと思う。
積み重ねてきた一歩は大きな意味を持つはずだ。
問題集
小学生の時に貰った教材で「ドリル」と読んでいた問題集があった。
「ドリルて…」とツッコミを入れた当時の記憶も懐かしいですが、【drill】と読み、演習や訓練、反復練習といった意があるようです。
当時このドリルという物自体は好きではありましたが、取り組むのが好きではなくて嫌な思い出が多いですが、人生に置き換えて考えて見た時にこれに似ているなと思ったことがあります。
一枚終わって捲ったらまた問題を突きつけられ、それが終わったらまた…これが繰り返されていく。
学期末に綺麗だった問題集を捲ってみると使われた形跡があって達成感があった。
ひとつひとつ理解し、こなしていくことで応用もできるようになり、嫌な気持ちにならず取り組める。
当時は嫌だったからまたかよ…て思っていましたがね。
分岐
突然に異次元の空間に包まれ、二つの道筋が現れ、どちらを選び進むかを選択させられる瞬間に遭遇する出来事がある。
多くの場合は、自分の中で歩みたい道は決まっているものの、何故か反対の道を選び、こちらでなかったことを悔いながら歩いていくのだ。
同じような選択を迫られる瞬間は、不思議なことに定期的にやってくる。
分かっているのにそれを選ばないというのが人間というものなのだろうか。
自分が納得し歩める度量を築いておく必要があるらしい。
「あの時ああしていれば」の悔いの念の多くはこれらのことなのだと考える。
飛び出す
コンクリート造りの空間の中、あれやこれやと一人で考えていたところで、いずれ行き詰まり、無意味な時間が過ぎていくものだ。
群像劇を表現しようならば、外に出て広くが見えるところから観察した方が多くのインスピレーションを与えてくれるものだ。
そこから飛び出そう。
躊躇する気持ちは、思い込みと考え過ぎと気にし過ぎ、だ。
自分が何をしたいかが重要だ。
通過点
体育の時間の50m走の練習でゴール地点を通過したにも関わらず、止まることなく走っていく奴がいた。
減速し「なんだあいつ…」と思いながら彼の方を見ていたら後ろを振り返り「まだゴールじゃ無いぞ、あそこがゴールだ!あそこに触れたもんが勝ちだ!」と勝手にルールを追加してこちらを煽って彼が設定したポイントにかけていく。
「せこいぞ!」と彼を全速力で追いかけるも離された距離を詰め切ることができず負けてしまう。
なるほど、彼はここは通過点に過ぎないことを知っていたのか。(そんなわけないやろ!)そう、そこは未だ通過点に過ぎないのだ。
土俵
まんまと彼が作ったルールにのせられたしまったではないか。
そして敗北。
自分の土俵を知ることも大事だ。
相手の土俵を知ることも大事だ。
知るために上がることも大事だ。
ただ感情任せに上がるのは悪手に思う。
眠りの中に救いはない
何かの曲の歌詞でこの言葉が妙に耳に入り、そうだよな、と思ったことがある。
眠りは死の予行演習。
そして日々の疲れを癒す大事な休息の時間でもある。
睡眠は十分に取った方が良いと思う。
良い睡眠を取るために日々の余計なストレスは解消できるように生活しよう。
寝て逃避するのも大事だが、寝床から抜け出せなくなってしまうと救いはない。
手
人の手を見るのが好きだ。
人が時間をかけて描いてきた年輪が見えてくるような気がする。
時には自分の手を見てみよう。
自分を振り返ってみよう。
主役は自分
自分の人生においての主人公は誰か、ではなく自分でしかない。
この物語をどのように綴り、終えるかは自分で決めていかないといけないのだ。
さあ、今何章まで書いただろうか。
そろそろ終章を視野に入れ綴っていかなければ、と思う。
それでは、またvol.03で!
いつになることやら…
今日の作業用BGM
Amazing Grace