生きていく、というのは、なかなか大変なことで、面倒くさいことや厄介なことに遭遇することが多々ある。
若い頃はそういうものに割と翻弄される、翻弄されがち、なもので辛く苦しい時間を過ごした人も多いだろう。
ああ、これは年の功か、と思った時はいつだっただろうか。
若い頃に遭遇した面倒くさいことや厄介なことが、時を経てまたしても大きな壁として行く手を防ぐも、この壁の乗り越え方が分かり、不穏な気持ちに陥らない。
大変であることには間違いないが、まあ、なんとかなるさ、となるのだ。
物事は複雑であり、大きく見ると一つだが、近づいて見ると細かな物事が散乱しており、それらが複雑に絡み合ってひとつになっていることも、凡そに理解でき、それらを踏まえて歩むことを納得するしか他ない。
ゴールがない道なき道を歩き続けることを想像したとき、小さな頃、そして社会に出て間も無く絶望に苛まれたこともあったが、到達などという意識が高いことは僕は好きではないので、行きたいところに旗印を置いてあげることはできる。
「好きなことを仕事に」「自由に生きる」なんていう最近の流行りの他者を煽動するような胡散臭い連中が好むキャッチコピーは好まないし、辟易とするものだが、まあ、それは自分が決めることである。
「目覚めた!」「目覚めろ!」などという言葉に心を奪われ、あたかも自由を手にしたかのように生きているのは、結局のところ、そう思っているだけである。
そのスピーカーが無くなった瞬間に胸にぽっかりと穴が開き、路頭に迷う。
こういったサイクルを永遠と続けるのは悪手である。
群と戯れ、安心し同じようなことを思い、同じようなことを発言し、議論したかのような錯覚に陥り、あたかも目的地を見つけたかのように歩むを続けているようで、同じところをぐるぐると回っているに過ぎない。
これを通過点とするか、止まってしまうかは、いろいろなものを見たり経験したりする他ない。
自分の心の声を聞く
結局のところ、それは自分が知っている。
自分しか知らない。
社会が知るわけでもなく、メディアが知るわけでもなく、誰かが教えてくれるわけでもない…(おっと、ここまでにしよう…)
自分の道を作って行くまでに少々時間がかかるものだが、それだけでは生きる事ができないなどと言われることもあるが(そんなことは言われんでも分かっていて、それを踏まえて歩んで行くわけで)、様々な経験を踏まえながら、自分という謎めいたものを理解していき、様々な事象を納得し、こつこつと歩いていくのだ。
ということで、これまでの僕の一時の思考を書いていこう。
もうすでに過ぎ去り、思っていないこともあれば、思い続けていることもあれば、それに執拗に執着していたり、囚われているものもある。矛盾をはらんでいるものもある。
そして思ってはすぐに消えるものも。
その思考に囚われるというのは、完全なものではないと考えている。
それらが自分に馴染み、自然的に表現し生きて行く事ができるように。
複数回に分けて投稿できれば、と思っている。(いつになるかわかんないけどね…)
はじまりはいつも暗い
これまでにない経験のはじまりは暗いものだが、なにかしら行くべき光のようなものが見える。
それに向かってこつこつとやっていこう。
どういう結果になれど、なにかしら上手くいったと言えるだろう。
小さな灯火を
何かが起因してごおごおと強く燃え盛るような時があるが、その強い炎を客観的に観察する自分も持っておいた方が良い。
あまりの強さに周りが見えなくなったり、力を出し過ぎて燃え尽きてしまい、灰のようになってしまうことがある。
再び燃やすには少々時間を要するからだ。
マグロ
マグロは泳ぐのを止めると窒息してしまうから、一生の間、休む事なく泳ぎ続けるのだという。
人間は歩みを止めても窒息することはない。
立ち止まり疲れを癒すことも重要だ。
コンディション
コンディションが良い時もあれば、悪い時もある。
体調が良い時もあれば、悪い時もある。
こいつの変調は仕方がない。
管理してどうこうならないものもある。
無理強いされることに違和感を感じる。
悪い時に頑張って向かったところで良いものが出来るとは思えない。
音楽
音楽は良いものだ。
気持ちを癒してくれたり、悲しみに寄り添ってくれたり、気持ちを高めてくれたりするものだ。
ただ音楽に頼り過ぎるのは良くない。
良い心、悪い心
良い心、良からぬ心。
いずれも自分に備わっていることを理解する事が重要だ。
絵本「ほんとうのぼく」
死とは隣り合わせ
どんなに気をつけていても「死」に巡り会う可能性は0にはならないだろう。
時速90kmの車にはねられた時、はねられる前に全てがスローモーションに変わった。
あの時、時の流れがスローにならなければ、受け身を取る事は難しかったであろうし、真っ直ぐに突き飛ばされなければ、確実に命を落としていただろう。
口を少し切った、打撲をしただけで済んだのはなんとも運がよかったのだろうか。
こんな目に遭うのは自分だけで十分だ、と思うが、自分以外の人の変わりを生きることはできず、憑依し危機を脱することなんて不可能だ。
開拓は新たな可能性を見出すが、あらゆるものも含まれていて、目に見えないそれらに遭遇する確率もあがる。
平和で安全に暮らせる世界だが、死は常に孕んでおり、死に向かって日々歩いているのだ。
平凡な日常の中にある小さな事が、幸せなことなのだと思う。
と、ここで締めよう。
続きはまたいつか。
坊のいっときの思考 vol.02
イラスト「坊の一時の思考 vol.02」
今日の作業用BGM
Khruangbin – So We Won’t Forget (Official Video)