最近は全身筋肉痛が起こることが頻発して、少々かなわんです。
ひどいときは肩から首にかけて痛みが走る時があります。
体というのは正直で、痛みとしてツッコミを入れてきます。
そうちゃうやろう、と。
「すな…すな…すな…せーへんのかあい!」と、痛みが起こらないような正しい動きをすると、それはそれでツッコミを入れてくる。
それは違う「なにか」を欲している合図で、こちらも「ボケ」を練らないといけないタイミングなのです。
痛みを伴わない正しい形を得たとして、そこまでに至るにやはり傷を負っていますから、それらは治癒してやらねばならないのです。
マッサージに行きたいなあ、といつから呟いているか分かりませんが、マッサージに行きたいと思っています。
粘土細工で自立型のものを作っている時に、人間が立っていることはとてもすごいことなのだなあ、と気付かされる。
そして歩いたり、走ったり、跳ねたり、ものを持ったり、運んだりと実に自由に現実世界を動き回っている。
粘土の底をやすりで平行になるように削ってやるだけでは自立することができない。
全体のバランスがとても大事になってくる。
何度も何度も、細かな調整を行いながら立ってくれるように作業をする。
さて、これで大丈夫だろう、と机の上に小さな人型のミニチュアをそおっと置いてみたところ、そいつはコロンと倒れた。
自分が嫌いなものや嫌な気持ちになるものについては出来るだけ触れないようにしているが、とはいうものの、現実世界の社会に生きていると関わらないといけないタイミングが多々ある、というよりも、その中で生きているということは切り離すことのできない接点があるので、面倒くさいと思うことがある。
しかし、生きる術、を少なからず身につけてきたようで、物によってはやり過ごせるようになってきたものも多々ある。
とはいえ、問題集のように次々と問題を提示してくる。
簡単にこなせるものもあれば、なかなかに悩ませてくれるものもあるから面白いものだ。
本来の自分の姿でいることのできる時間というのは一日のなかで限られている。
自然体でいるようでありながら、シーンによってはそおっと仮面を被らないといけないタイミングがある。
かつての自分は、なぜだ!と心の中で自分を罵っり、悔やんだりと。
今は不思議なもので、そういった罵りが入ってくる場合、対話することができるようになった。
とはいえ、本来の自分とは相反する形を出したわけで歪むのだ。
それは対話の中で和解はしようだが、解決したわけでなく、蓄積しているように思う。
そんなとき僕の好きな、というのか、どういったものに心が突き動かされたり、和んだり、洗われるような透き通った心を思い出すのか、突然にそういったものを読んだり、触れたり、見たりする。
ずれた骨盤を矯正するような感じなのか。
イラストレーション「そんなNo.1争いなら…」
と、過去に描いたこのイラストを粘土細工で作ってみることにした。
10年以上前になるのかなあ、これ描いたの。
イラストレーション「そんなNo.1争いなら・・・」
光も闇も…ね。
素材
日記「夢の物語」
「夢のお話」のアイキャッチで使用したこれ。
不揃いの不細工な形がよかったので、少しだけ研磨してはりつけた。
100円ショップの紙粘土で大まかに手を形成し、硬化してから彫刻刀で細部を形成していきました。
今日の作業用BGM
This Is America / Childish Gambino
新品価格 |