「ジャーーーン」
パソコンの電源のスイッチを押して起動。
修理して快適に動くようになった大画面のimacで作業できるのはちょっとテンションが上がる。
20代のはじめ、大阪にあったとあるデザイン事務所に勉強のために通っていたことがあった。
そこにいたデザイナーさんというのはmacでデザインをしていた。
その当時windowsを使っていた僕は、その光景を憧れの目で見ていて、日に日にその願望というのは高まっていった。
そのmacがやっと自宅にやってきて、電源スイッチを押し、起動音が鳴った時の鼓動を思い出す。
これで僕もデザイナーの仲間入りだ、と、なんて短絡的な発想だったろうか。
それからどれだけの苦難の道と挫折を繰り返すか・・・
そして、それは今も変わらない気がするが・・・
起動画面が立ち上がる。
椅子の上で胡坐をしようとしたら、足のかかとが股間に入り悶絶してしまった。
痛いスイッチがカチッ、と。
おでこを机に乗せて、なにが痛いのか、どこが痛いのかよく分からない感覚だが決してポジティブではない感覚。
どういうリアクション、ポージングが適しているか分からないのだが、腹部付近を抑えてうずくまっている。
・・・
次第に痛みが治り、画面を見るととっくのとうに起ち上り作業に向かう。
集中しているときは、特に素材を揃えた上で組んでいく段階というのは無心のようだ。
ターミネーターのロボットの目、アイズシステムのように画面内にあるパーツを瞬時に捉え、カーソルで捕まえて、画面内の気持ち良いところに配置していき、組み上げていく。
粗方イメージ通りの構図ができて、ふーっと集中が切れて椅子にどっともたれかかる。
どれくらいの時間作業に集中していたのだろうか。
なかなかの時間が経っていた。
体もちょっとだけ疲れを感じている。
ぐー・・・とお腹の減る音が鳴った。
気にせず作業に向かう。
ごーーー・・・
聞こえない。
ぎゅーーーーー・・・
面白い音。
くわーーーーーー!
もう胃にはなんにも入っていないのかな??
今日のお腹は駄々っ子である。
あらゆるアプローチで僕に気づいてもらおうと必死である。
最後出したお腹の音が変すぎて自分で吹き出してしまって、お腹になにか入れることにした。
脱うまい棒してから、最近はまっている88円のバターロール。
6個入りで程良い甘みがあって、もっちりとした食感。
これでどうしようもない空腹感に見舞われた時対処する。
しかしまあ、スイッチというのは、いたるところに設置されている。
日常生活において、意識を持ってボタンを押してオンオフするものや、自分のモードを切り替える見えないスイッチ。
人に押されてしまうスイッチ。
憧れや感動、悲しさや虚しさ、苛立ちや恋心。
押したくないのに入っちゃうスイッチ。
寂しいとか不安とか孤独感とか。
想像や妄想に浸るスイッチ。
文字や言葉のスイッチ。
それらのスイッチによって、思想感や考え方や生き方に大きく影響する。
いろんなスイッチをつけたり、消したりすることを重ねて行くと、経験やそれによる推測などで節約するようになってくる。
このスイッチは楽しいのだけれど、電気使用量がなかなか食うとか。
ゲームをはじめると、区切りをつけるのが難しいとか。
冷暖房は付けっ放しにして寝ると、体調を壊すとか。
敢えてつけないものとか・・・
まだまだ押したことのない、押されたことのないスイッチが隠れている。
さてさて、今日はどんなスイッチを押すのだろうか。
そのスイッチによって、どんな自分が現れるのだろうか。
ちょいと楽しみでもあるのだ。
作業を終えた一日の最後に書く日記というのは少々疲れる。
集中力も切れている。
ただ書ききってしまわないと気持ちが悪いし、いま、ここで思っていることは今書かないと、覚えていても同じ感覚で書けないから。
さてさて、少しだけ起きているスイッチを切りましょうかね。
それでは、また明日、会えたらね。