最近は「あの頃」を思い出し、ノスタルジーに浸ることが多くなったのは、おっさんになったからなのか。
あんなことあったな、こんなことあったな。
SNSを眺めていて、昭和レトロな、ものが流れてくると「懐かしい」と心が踊る。
色褪せないものはい色褪せない。
今に始まったわけでなく、少し前の記事を振り返ってみると、ずっとそんな過去のことを振り返っている。
お腹が空いたので、一杯のカップ麺を食べながら、小学校に入学した頃を思い出していた。
どんなだったかな。
映像は明確に出てこないが、ドキドキやワクワクが入り混じった感情を抱いた感覚が蘇ってくる。
そんなことにふけっていると、絵を描きたくなっていくつかイラストにした。
思い出を添えながら、イラスト紹介しますね。
交通安全の旗とランドセル



体とのバランスがおかしい大きなランドセルを背負い、近くに住む上級生の人たちと班になって一緒に登校。
六年生は交通安全の旗を持って、僕と手をつないで班を引率しながら登校する。
六年生の背丈といったら、見上げるくらい高くて、優しくてしっかりしていた。
同じ小学生とは思えなかった。
おじさんに見えたのを覚えている。
自分は長男だが、近くに兄貴ができたような感じで嬉しかった。
小学六年生の班長にいつもくっついて話をしている小学五年生の男の子。
班の小学生とはちょっと違っていて独特な雰囲気を持った人物だった。
いつも靴を踏んで独特な歩き方だった。
アナーキーで優しさはなく、少し攻撃性を持ち、低学年といえど容赦ない人物だった。
この人物というのは、彼が卒業するまでの短い間だったが僕を苦悩させた。
上靴


下駄箱で上靴に履き替えて自分のクラスに向かっていく。
僕の時代??なのか1学年5〜6クラスあったので、朝の下駄箱はごった返ししていた。
上靴ってかわいい。
はじめは真っ白で綺麗なのだけども、だんだんと黒くなっていく。
男の子は真っ黒だ。
マジックを使って落書きして、オリジナルの靴にしたりしていました。
破り倒している男の子とか。
長い休み明けには、買い換えないといけないくらいダメージがあった。
小学校生活の中で、上靴何足買ったのでしょうね。

コンクリート建ての学校であったが、けして新しい校舎ではなく、年季が入っていた。
踏めばギシギシと音を鳴らす古い床。
たくさんの傷や跡が残っていて、たくさんの子ども達がこの学び舎で共同生活をした思い出が見えるようだ。
教室


「キーンコーンカーンコーン・・・」
と授業が入るチャイムが鳴る。
小学校生活の中で一番よく見た風景なのかもしれない。
一年生、二年生、三年生・・・と重ねるにつれて、だんだん難しくなって勉強についていけなくて、見たふりをしていた。
ずっと見ていたのは時計の針。
授業の終わりを告げるチャイムになる時間をずーっと待っていた。
だけど、そんな時間ほど長いのだ。
窓際の席は当りの席だが、真面目に勉強してなかった僕には当たりにくい席だった。
あと休み時間の間、教卓の周りというのは人気があったような気がする。
あるドキュメンタリー番組を見たけど、教卓というのはなくなっているようだ。

男の子、女の子一組になって朝の会、終わりの会を一週間担当する日直。
教室中央にある教卓に立ち、朝の会、終わりの会の司会を務めるわけだが苦手だった。
日直の中で最も好きだったことは、黒板の日直エリアのところに自分の名前を書くこと。
綺麗にかけるようにこだわった。
でも、女の子に書き換えられていた。
机

相棒といってもいい。
この相棒にやったことといえば、ひどいことしかない。
一番やった悪戯は落書きだろう。
席を移動させるとき雑に扱ったり、休み時間友だちと楽しく過ごしているとき、そのテンションで土足であがったり…
無意識な懺悔なのか、掃除の時間は綺麗に吹いていたのを思い出す。
机のサイドにあるフックにかかっていたキルティングの手提げバッグ。
男の子は青系、女の子はピンク系でお母さんの手作りの愛情のこもったバッグ。
今思えばあれって素敵な光景だよな。
連絡帳に持ってくるものの「も」に手提げ袋、筆記用具と書く時は早く帰られるか、長い休日に入るかのタイミングだったので嬉しかったよな。
粘土細工「小学校の机と給食」
筆記用具とお道具箱

文具は未だに好きで、雑貨屋さんに行くとついつい見てしまう。
ごく自然に好きである、というルーツは小学校なのではないだろうか。
大人がカバンやら名刺入れやらパソコンを持つような感覚。
小学校一年生の間は、でかくてゴツい鉛筆削やら何か仕掛けの入ったハイテク筆箱を持っている子が多かった。
その当時はキャラクターがデザインされたものはまだまだ少なかった。
安価になって種類が増えていったのは、もう少し後のこと。
自分のもので、自分で選び買い物に行くようになったのは、これなのではないでしょうか。
匂いつき消しゴムや、デザインだけで全く消えない消しゴム、鉛筆キャップ、定規とか。
楽しかったよな。
女の子は手紙を渡しあったりしていたから、買い物の幅も広かったのでしょうね。

お道具箱って机の中にずっと入っていたけど、そんなに明けた記憶がない。
開ける時というのは、図画工作や特別なイベントの時だけ。
でんぷんのりや、色鉛筆、折り紙、はさみ・・・
お道具箱をあけるとき、ワクワクしたよね。
やっぱり「お」のポテンシャルは高い。
道具箱、よりお道具箱の方がワクワクする。
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懐かしいアイテムだよね。
赤白帽

体育の時間や課外活動とか運動会で紅白に別れるときに被った赤白帽。
ゴム紐つけてね。
男の子は遊び道具にするから、もうゴム紐の役割は失っていて、先生にゴム紐をして、なんて注意されてゴム紐するものの、それやったらだいぶん顔が長くないと止まらへんでというくらいに伸びている。
そんな可笑しな光景にも笑いもなく、当たり前のように過ぎていく。
つばは三角に折れ曲がっているし、MやWになっているし。
俺は赤でも白でもない中立の立場だと、頭でスタンスを表現するウルトラマンもいたものだ。
しかし、あのウルトラマン。あれは誰が考えたのだ。
学校で流行するくだらない「あれら」は誰が考え、誰が広めていくのだ。
ソプラノリコーダー

音楽の時間はわりと楽しかった。
歌を歌うや、理論的なところ以外は。
いろんな楽器をさわれることは、とにかく楽しかった。
リコーダーを使った授業は多かった。
まともに授業を受けることなく、隣の友だちとふざけ合う。
友だちがふいているところにちょっかいを出して笑わせる。
笑った時の
「ププププププっ・・・・!」
という、リコーダーを拭きながら、笑うやつは本当に面白かった。
大抵同じ音で笑うのだが、器用なやつは笑いながら曲をひくやつがいて、そのテクニックに驚くも面白すぎて大爆笑した。
給食の時間

給食のチャイム。
学校の時間で僕が最も好きな時間だった。


チャイムと同時に班ごとに机をセット。
給食当番の人はエプロンとマスクを着用し、廊下に並んでいる。
大きな飯盒でたかれたご飯は格別だった。
蓋を開けたらもわっと吹き上がる蒸気とともにご飯の美味しい香りがよだれを誘う。
大きいおかず、小さいおかずによそおわれていく。
小さいおかずはあんまり好きなものなかったな。
大きいおかずがカレーだった時はご飯何倍もいけた。
でも人気メニューだったので、早いもの勝ちだった。



僕の周りにはコッペパンが嫌いだったという人が多いように思うがどうなんでしょう。
僕は大好きだった。
特別な日にやってくる黒糖コッペパン、きな粉コッペパンは最高だったけどな。
中をくりぬいて空洞にして食べてみたり、ぺちゃんこにして固めにしたり、お行儀の悪い汚い食べ方をしていたが、より美味しくなった気がしたのよね。
イラストレーション「小学校の給食の思い出」
お掃除の時間

給食後だったかな、お掃除の時間は。
机を後ろにやって、与えられた持ち場でお掃除をする。
箒で掃いて、何往復も雑巾掛けレースをする。
半日使用した教室は若干ガスっていたが、掃除をした後はクリーンな空気で透き通っていたような気がする。
黒板消しのクリーナーがごーっと大きな音をだしている。
大きな音で吸引力もすごそうだが、全然チョークはとれていなくて、結局窓にむかって両の手に黒板消しを装着してパンパンする。
せっかく教室がクリーンな空気になったというのに。
とまあ、そういうわけで、小学生の頃を思い出しながら、エピソードを添えてイラストをお送りしてきた「坊のノスタルジー 小学校」。
これからも過去のことを振り返っては、ノスタルジーに浸ることも多々あるのでしょう。
年を重ねれば、もっともっと増えてくるのでしょうか。
次のシリーズはなんにしようかな、と。
時に逆行するも、刻々と秒針は先へと刻んでいる。
目覚まし時計が朝だよ、起きなよ、と煩く叫んでいる。
ああ、学校か、行きたくないけど、行かないと。
行ったら行ったで楽しい。
思い出は懐かしき故郷なのか、家なのか。
たまに帰って来たくなるものだ。
じゃあ、いってきます!

放課後の公園でのお話はこちら
イラストとエッセイ「The Park. 〜ノスタルジーと公園と遊具のポップイラスト〜」
今日の作業用BGMは
The Paper Kites / A Maker Of My Time
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