善人であることとは、善人である権利を持つこと。
善人とは、善人とされるための基準と規則の中に存在し、その行動に善意や善行が含まれることが前提である。
この基準に基づいた「権利」を持つことが、善人であるためには不可欠である。
しかし、権利を持たぬ者が行う善行は、しばしば善人とは見なされず、むしろ歪なものとして受け取られることがある。
なぜならば権利を持たぬ者は、善人である基準と規則に則っていないから権利を持たぬのだ。
善行とは何か。
それは、その者がこれまでの人生で心に刻み込まれてきた傷跡のようなものだ。
その傷の痛みこそが、利他的な行動へと無意識に体を動かす原動力となる。
傷を負った時の過去が脳裏に蘇り、その過去の瞬間にいる自分を見たように。
その時に負った傷がうずき、過去の痛みと感情が鮮明に蘇り、心が突き動かされ、無意識の中にある行動に、社会的な規則や基準は存在せず、善行を行う意思もなく。
善行とは、まさにその人が歩んできた人生の中に刻まれた「傷跡」が突き動かすものなのである。
この傷跡とは、人と人とが時に歩み寄ることができる、誰しもが感じる痛みである。
この傷跡こそは、人と人とが先に歩むことができる架け橋となろう。