いつものように、いつもの道を。
何も思うことなく、いつものように歩いている。
変化といえば、晴れの日もあれば、雨の日もあって。
行き交う人が違うくらいか。
いつもの横断歩道を前に、いつもと違う車が行き交うくらいか。
はっきりと分かるのは信号の指す色くらいだね。
青になって横断歩道を渡り出し、ふと右側を見ると、勢いよく車が走ってくるのが見えた。
この軌道はどう見ても僕を轢いてしまうベクトルであることは間違いがない。
不思議なもので、そういう時は時空を歪めるのか、僕が見ている景色はスローモーションのようにゆっくりとした時を見せる。
結果は見えているというのにだ。
そして結果が 互いにそれが分かっているから、運転手の表情はやってしまった顔を既に浮かべているのである。
このベクトルは既に変えることができない。
轢かれるベクトルの上に立っている。
しかし、時はゆがみを見せゆるりとした時を見せる意味とは何を問われているのだろうか。
何気ない日常とは、その人のベクトル、言わば過不足なく螺旋を描きながら歩む軌跡にとてつもない衝撃を与える隕石がぶつかることも含めている。
その結果、死ぬも生きるも、生きて苦しむも、本来向かっていたベクトルを変えてしまう出来事が、何気ない日常に潜んでいるのだ。

思考的実験「日常にある時のゆがみの中で」
bow’s internet shopping street
bow’s Townにある商店街、bow’s Internet Shopping Street。
パン屋さんや、和菓子屋さん、服屋さん、雑貨屋さんなど、たくさんのお店が並ぶ商店街。
屋台も訪れ、活気があって賑わいのある楽しい商店街。