ランドセルの中で腕を組んでのっそのっそして揺れている教科書の中に、
じゃらじゃらと忙しそうに右往左往するキーホルダーたち。
後ろから見ているとアニメのコミカルなシーンを見ているようで、
表情を変えずあっちやこっちや振られている姿はちょっと笑けてくる。
学校に不要なものは持ち込まない、所謂「不要物」なんて言われていて、
キーホルダーの類もそのカテゴリに属していたわけだが、
まあ「常識の範囲内」ってやつだと先生たちは容認していてくれたのかもしれない。
中には玩具屋の店の一角みたいにすごい数のキャラが吊り下げられている子もいたが、
見ている方は愉快なものだ。
さて、彼らはどういう基準で登校の友として抜擢されたのだろうか。
当時、人気なキャラクターが続々と登場してきた。
ドラゴンボールや幽遊白書などの人気漫画やアニメ。
ドラゴンボールでいえば球のキーホルダーはたまに見かけたが、
悟空やピッコロなどのキャラキーホルダーはあまり見かけることはなかった。
文房具についてはいろんな種類のものがあったが、立体物のグッズ化は
ゆっくりだったのだろうか。
当時Jリーグも大人気で、チームのマスコットキャラのキーホルダーを
よく見かけたな。
今でも当時のJリーグのマスコットキャラは好きだ。
外に出かけると、電車なんかでバッグに下げられたキーホルダーなどを見ると、
なぜそれが抜擢されたのか聞いてみたくなるものだ。
写真を撮って理由を添えたものをアーカイブしたいと昔から思ってる。
なかなか難しいチャレンジであるが…
特別なものというより、シンプルにかわいいやかっこいいとかなのかもしれないけれど。
でもなくなっちゃうと不安になったり、気持ち悪くなったりするもの。
失った時ほど、それが持つ存在感って大きくなっているものだね。
だって、ちょっと前まで小さな子どもだった。
こちらがあれやこれや手伝ってあげないと
一人でできなかったんだ。
びゅんびゅんと車が飛び交う道路をあんな小さな体で
渡らないといけないんだ。
全てを変わってあげたいものだけれど、どうしても、
それはできないから、自分でできるようにならないといけないんだ。
そんな後ろ髪を引かれる思いは露知らず、
自分の体と同じくらいのランドセルを背負い、元気よく走ってく。
揺らぐ思い。
そんな心配は無用だったようだ。
彼らは彼らなりにおっきくなっている。
いつのまにかおっきくなって玄関の扉を開け帰ってくるのさ。
おかえり。
坊の願いとは至ってシンプルさ。
笑われるかもしれないけれど、
みんなが平和に生きれることさ。
みんなが無事に家に帰ってきてくれることさ。