もうだいぶん前にやっていた「woman」というドラマを思い出す。
あのドラマは好きだった。
珍しく、毎週楽しみにしていたドラマだった。
巷では重たい内容だと。
確かに明るく、笑って見られる内容では無かった。
しかし、僕にとっても内容も重要だった。
また、映像の描写の美しさ。
いつもの日常の中にある風景、シーン。
特別なことでない日常。
その当たり前の出来事をとても美しい描写で表現していたところに、多々鳥肌が立つくらいの部分があった。
夫、妻、子の幸せな家族。
家族でご飯を食べる、散歩へ出かける、洗濯をする、会話をする。
そんな当たり前の日常。
それは、この家族にとって幸せな日々だった。
しかし、悲運の事故で、夫を亡くしてしまう。
それから主人公である妻がシングルマザーとなり、子とともに繰り広げられていく物語。
このドラマで考えさせられたことは非常に多い。
フィクションであるが、この中で描かれた出来事は、決して非現実な出来事ではない。
うちの母親もシングルマザーとして、僕たち3人をここまで育てた。
子供ながらに、日々大変であろうことは、察しがついたし、なんとかできないかとか。
現在は、夫婦として生活しているが、僕と妻もその前はシングル同士で日々生活をしていた経緯がある。
一人で仕事をしながら、子育てをしていくことは、大変に難しいことだ。
経済的にも精神的にも物理的にも。
経済的、というのは、本当に悪循環の中の生活になり、働いて稼げばいいじゃないか、という論理は通用しなくなる。
その時間が無い。
子供も一人の人間で、病気になったり、けがをしたり、コンディションが悪いこともある。
自分一人で行動できることが少なくなる。
ほぼ皆無といっていい。
悩む間もなく、日々を生きていかなければならないのだ。
県や市によっても国からの支援もまちまちである。
母子、父子でえられる援助も違ったりする。
理解をえられることも少ない。
自分は親がいたから、まだ助かる部分は多くあった。
そうでない人もたくさんいる。
そうなってしまう現実を生んだのは自分が選んだ道かもしれないが、そうはいっても生きていかなければならない。
やりたくない仕事を選ばないと生きていけなく、それを選んでしまう人も。
そうではなく。
そういった人生を歩まなければならなくなった人々も、最低限の生活を保護される世の中であってほしい。
頑張っても頑張っても、報われず、嘘で保護されてしまうような国ではなく、頑張って頑張って生きてる人に、少しでも希望の持てる世の中に。
そんな世の中に、そんなところにまっとうに税金が投じられていく政治をおこなって欲しい、そう思う。
遠き山に日は落ちて
このドラマの中で流れる曲。
ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番「新世界から」
堀内敬三作詞
「円居せん」
調べると
「1か所に集まり会すること。特に親しい者どうしが集まって楽しむこと。団欒(だんらん)。」
とある。
当たり前の日常に感謝をする。
自分が現在ここにいて、歩むことができることに感謝する。
それは、自分一人の力ではなく、ここに円居、支えてくれる人々がいるからである。
忘れることはない。
甘えてしまうことはある。
でも、決して忘れることはない。
その人々のために、僕は頑張り続ける。