そうであるから、そう生きる、しかない。
何の因果か、現在の時の中を、何かに引っ張られ、ぬえの如く蠢く空間の中をそうであるから、そう生きる。
痛かろうが、苦しかろうが、悲しかろうが、痛ければ絆創膏を貼り、病院で治療し、苦しければ休養を取り、悲しければ、慰め慰めてもらう。
この空間の中には大きな力が働いているようで、シンクロすると気になるものではないが、そうでない場合、防ぎようのない光線がいくつも体を貫通していくようだ。
それは体を物理的に傷づけるわけではないが、なるほど、そいういうことなのね、ははは、ごめんごめん、と姿勢を調整しなければいけない。
個々高低差があるようだが、この高低差が大きいほど、ダメージは受けやすいように思う。
がしかし、そうであるから、そうするしかないのである。
がしかし、果たしてそうなのだろうか。
いつしか心からの表情が消えてしまった目から、無表情の中で流れいく本当の涙は何故流れるのか。
ブラウン管に映る拳を握りしめる幼子の目は、彼は何を見ているのだろう。
シニカルな曇った眼を突き刺す人々の姿はきっと思い出させてくれるだろう。
いや、知っているのだ。
何も変わっていないことを。
僕たちはこの幼子たちと向き合い対話しているのだ。
今日の作業用BGM
筋肉マンマーチ