腰掛けた石垣の近くに小鳥がやってきた。
チュンチュン言いながら、じゃれ合っている。
一匹別のところへと飛び立ち、追いかけるように何匹かの鳥が飛び立っていった。
よくある光景だ。
タバコをふかし、前を見る。
ふともう一度同じところに目をやると、うずくまるように、一匹の小鳥がいる。
しばらく様子を見るが、微動だにしない。
よし、と腰を上げ、近付いてみるが、予想とは裏腹に飛び立たない。
犬や猫を撫でるように、もっと小さいから、指の腹で優しく撫でてみた。
犬や猫がやるように、気持ちよさそうに目を瞑る。
こーいうとき、自分で俺はいい奴だな、と思う。
このままいてたら、外敵にやられ、食われてしまうかもしれない。
どうしたら良いのか、と模索する。
木々に耳を向け、仲間とのコミュニケーションはあるか、、、 そこで思い出す。
少し前こんな記事があった。
飛び立たない雀をかわいそうと感じ手を貸すのは間違っている。
これは親鳥が子が独り立ちできる訓練をしているから、邪魔しちゃいけやい、という内容だった。
そうか。
元の場所に戻り、遠くから見守る。
どれだけ待っても、何も起こらない。
風が強くなり肌寒くなってきたから、上に服を羽織った。
ほんまに訓練中??
やっぱり気になって近付いてみると、バタバタ!と翼をはためかし、飛んでった。
上に羽織ったものは黒で、纏うようになっている服だった。
カラスの襲撃に思ったのか。
巨大なカラスやな。
しかし、一安心。
つっかえが取れたものだ。
小鳥を自分に置き換えたとき、これほど怖いことはない。
巨大なカラスが自分をどう料理しようか、舌舐めずりをしながら、今を吟味しているのだ。
食うか、食われるか。
この瞬間をどう対処すべきか。
小鳥は生きた。
心優しき巨大なカラスの襲撃によって。
自然のことわり。
時代の荒波に、僕は立ち向かうのか、呑まれるのか、乗るのか。
はてさて、な。