カラオケには久しく行っていないな。
普段の生活の中で話される言葉は、
シーンとかに合わせて選ばれている伝わっていく。
近くなると制約は緩くなるの??かな。
親しき中にも礼儀あり、か。
それとも、もっと、つっけんどんになるのか。
性格によるスタイルとか、タイプなどを
話されるが、そーいうのんは、できるだけ
意識しないようにしよう。
そうなろうとしてしまうし、そうならないといけないような
気になる。
いつもの通り脱線してしまうのはご愛嬌。
その時の流れでカラオケに行くことがあるが、
どうも気構えてしまう。
嫌いではないし、メロディーに合わせて普段言わない言葉を言うことは
自分にとって大事なことだ。
生活や起こる出来事への大きな力となると思える。
気構えるのはなぜか。
泣いちゃう恐れがあるのだ。
これまで聞いてきた音楽でも、何度聞いても飽きないものがある。
中でも少ない人生の中で自分にとって大きな出来事があった時に
力をもらっていたものや、拠り所になっていたものがあって、
その時のことをあれこれ思い出して、耳を塞いでも隙間からメロディーと
言葉が入り込んでくる。
気をまぎわらしても、勢いよく流れ込んできて、
口がへの字にまがってしまう。
泣いたらスッキリすることもあるけど、人前で泣いてしまうのは、
少々お恥ずかしい。
そんなことが、数回あって、、、
みんな良い人で肩を組んでくれたり、慰めてくれたりして、
感謝だ。
涙腺はゆるい方だけど、年々緩くなっている。
些細なこと、僕にとっては素敵な光景だったりするわけだが、
涙腺を刺激されることも、日常にある。
泣きそうな面でもないのにね。
そういう音楽は僕の中にしまっておくから、出さないのだ。